2015年4月22日水曜日

「ワイルドスピード SKY MISSION」

劇場:バルト9

「ワイルド・スピードシリーズ」の新作。
面白かった!

ラストなんか取ってつけたような感動シーンが多くて萎えていたんだけど、「ポールに捧げる」と出て全てが繋がった。
ついに終わってしまったのか…。
あとは「ファイナル・ディスティネーション」シリーズに希望を託す。

2015年4月5日日曜日

「コルバトントリ」(演劇)

演劇を書くのは初めてですが、本日の観劇について記録したいと思ったので。
画像は関係者の方のTwitterから拝借。

演出は飴屋法水さん。
その界隈ではとても有名な方らしい。
その方の手法として、演劇を通して自己・または大きく人間、その他様々もの…の存在の所以を”描こうとして”いる、方、なのか?
その辺は初ということで私の口から説明しきれないのですが。

おそらく原作に書かれているであろう子供二人のやり取りの合間に、原作者が役者として登場し、途中演出家がインタビューしてきてこの作品の本質を暴き出そうとする。
こういう演劇は話にしか聞いていなかったので、とてもとても面白かった。
ただ、今回に関して言えば、演出者という神が、とても傲慢に見えてしまった。
この作品を教えてくれた方に聞くと、前回は演出者本人を暴き出すものであったそうで、そちらも観たかった。

時間的な問題なのか、アトリエの周りはシャッター街。
すごいのは、背景がそれ。
帰宅途中のサラリーマンやOL、近所のおっさんや家族が通る通る。
現実が舞台なのか、舞台に現実が入り込んでしまったのか。
映画とはまた違った現実と物語の境界線の壊し方にはっとさせられた。

原作買おうと思ったけど売り切れていた。残念。
ここで買わなかったら今後も買うことはないと思うので、とても大きな何かを逃したのかもしれない。
逃していないのかもしれない。

今回演劇について初めて書いたので、いつかもう一度「第三の証言」を観て、感想を書きたい。

7/20追記:
原作を読んだ。
かなり脚色していると思われる。
両方、構成を理解しようとするとかなり難しいので、雰囲気を味わうので精一杯だった。
ラストは言いようものない鳥肌が立った。

2015年4月3日金曜日

「神々のたそがれ」

劇場:ユーロスペース

今年初の劇場鑑賞。
編集さんの部屋にチラシが飾ってなかったら、危うく見逃すところでした。
「フルスタリョフ、車を!」は見なきゃ見なきゃと思いつつ、未見のまま遺作を観ることになってしまった。そちらも探します。
ちなみに わたくしの中で、ロシアのすごい監督、その四、くらいのイメージ。

ソクーロフの「ファウスト」を観た後の感想ととても似ている。
何が起こっているのか、ついていこうとすると取り残されてしまう。
台詞と動きの連続で、目まぐるしく神様を取り巻くあれやこれやが通り過ぎていく。
と書いていて、すごく「8 1/2」に似ているのかもしれない、と思った。
監督の苦悩と神の苦悩。
フェリーニだって映画(もしくはイタリア映画)という狭い世界では神みたいなもんだろうし。
正直本作に関しては、苦悩というより情事の連なりのイメージが強いが。

ただ、ラストは前述の二作品と違い、高揚感と呼べるものはあまりなかった。
そこに「人生は祭りだっ!」とか「魂の解放だっ!」みたいなラストがあれば「悔しい!今年一位!」と言っていたかもしれない。
この映画たちを同じ線上にあげているからこその意見ですが。

顔に泥とかを塗る描写は確か異世界へ入っていく暗示だったと思うけど、顔に重油?を塗りたくるシーンが出てきたので、お、虐殺くるか?と思いきやなかなか来なかった。
ちゃんと分析すればあそこからなにか変わっていたのか。
あと最近プロップ論を少し読んだりしていたので、ロシアつながりでその辺をとても期待していたけど、そこを探す余裕がなかった。
もしくは晩年の宮崎駿みたいに、そんなんで映画はもう撮りたくないんですよ!って感じなのか。
もう一つ、「家畜人ヤプー」との類似性を考えようとも思っていたけどそんな余裕もなかった。

結局、ゲルマン監督は完成間近で亡くなったわけだし、完璧ではない、ということでしょうか。
「日陽はしづかに発酵し…」と同様、ストルガツキー兄弟はわたくしにはまだ到底理解できるものではございませんでした。
あとはトルストイに賭けます。

一つ声を大にして言いたいのは、「空前絶後 二十一世紀 最高傑作」というコピーは、映画を馬鹿にしているとしか思えない。
機会があればもう一度観に行きます。

4/5 追記:
レンズを覗き込む人々、あれはやばい。
常に現実とスクリーンの境界線を無くそうとしてくる。
ハネケかと思った。