2014年12月14日日曜日

「フル・メタル・ジャケット」

自分はいままでこの映画をとんでもなく勘違いしていたようだ!

前半は狂気を遠巻きからみてコメディに仕立て、後半は狂気の中に入らせてジリジリと戦争の怖さを伝えて行く映画…じゃなかった!
少なくとも今回の鑑賞では。

前半はある程度同じ印象だけど、後半は確実に違う。
ただただアメリカという国家を馬鹿にした、下手したら前半以上にコメディじゃないだろうか。
しかも「博士の異常な愛情」以上に良質の。

後半部、特に戦闘シーンに入るくだりは悪意しか無い展開と演出。

道を間違える

一人特攻

撃たれる

後方、何も確認せず”強大な敵”がいるからと戦車を要求
その間もどこにいるのかわからない敵にただひたすら撃ちまくる。

待ってられるかともう一人特攻

撃たれる

敵が強すぎる!撤退しよう!

見捨てるのか!とまた一人特攻

しゃーなしでみんなで突撃

犯人女一人

殺してヤッホー!ここは地獄だぜ!


こいつら馬鹿なんじゃないかと。
アメリカが端から見れば滑稽に見える訓練で鍛え上げた殺戮マシーンたちは所詮なんの役にも立たず、最新兵器と物量と人海戦略でなんとか形にはなったものの、本当は死にかけた女性兵士一人殺すことで精一杯のただ汚い言葉を垂れ流すだけのおぼっちゃまだった。
そうやって後半部を観ると、彼らの行動の節々に笑いが込み上げてくる。
恐らく監督の「博士の異常な愛情」について言った「本人たちが必死になればなるほど、第三者から観る笑いがある」という言葉の完成系に近いものではないのかと。

それを国家レベルまで押し上げると、強大でバカな国アメリカ(洗脳された役に立たない兵士達)と、貧弱だが知恵をつかう国ベトナム(女性スナイパー)という構図になるんだと。

もちろん登場人物たちは狂っている。
でもそれは戦争のせいではなく、アメリカのせいで狂ってしまった。
つまり、”戦争の狂気”ではなく”アメリカの狂気”の映画だと思った。

これは多分、「プライベート・ライアン」を観た直後というのも大きいと思う。
戦争の悲惨さ、ドラマ性、命の価値…などをテーマにした映画(違う戦争、というのも大きいだろうが)と比べ、「フル・メタル・ジャケット」はもっと風刺的で現代に一石を投じる映画。

前半部ばかりがとりあげられる映画だけど、後半部の話はほとんど聞かない。
みんなどうみているんだろう。

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